【偉人の名言から学ぶ】アインシュタインが考える “勉強をする目的”

【偉人の名言から学ぶ】アインシュタインが考える “勉強をする目的”5
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あなたは「学生の頃もっと勉強しておけばよかった」と、後悔した経験はありませんか? 僕はというと教師になってから早5年、それはもう数えきれないほど後悔を感じてきました。もし過去の自分に助言できるなら、事細かに勉強の大切さを説きたいものですよ。

さてさて、今回はそんな僕の積年の思いを込めて、僕なりの勉強への考え方というテーマでお話したいと思います。 結論から言うと、勉強で得た知識は “直接的に影響すること” は少ないですが、様々なシーンで “間接的に関わっている” と、僕は考えています。

天才物理学者「アインシュタイン」が残した言葉を絡めつつ、現役の中学理科教師の僕が語らせていただきましょう。

◆ アインシュタインは「教育」と「常識」について言及

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講義を行うアインシュタイン

 

“ 学校で学んだことを忘れてしまったときに なお残っているもの、それこそ教育だ ”

“ 常識とは18歳までに身についた偏見のコレクションのことをいう ”

僕は彼の2つの言葉にひどく感銘を受けた。

上の言葉は、思考力や臨む姿勢など、すなわち人格を形成することこそ教育なのだと解釈。

下の言葉は、国語、数学、はては倫理観に至るまで、かつて学んだことの集大成が常識となる、と、こんなふうに解釈できるのかなと思う。これを受けた僕の考えを話させてください!

① 勉強すると思考力や学習力が養われる

数学であれば論理的思考力、国語であれば読解力など、勉強が脳機能を向上させることはいうまでもない。その過程で鍛えられた思考力や、培った勉強習慣は、かけがえのない財産です。 アインシュタインの言葉を借りるなら、これが「なお残っているもの」なのでしょう。

僕は曲がりなりにも国立大学の教育学部へ進学しており、MARCH日東駒専レベルの大学受験ならさほど苦労せず合格した経験があります。自慢というわけではなく、相当する勉強は積んできたという話です。

僕自身、とりわけ頭の回転が速いということはありませんが、とはいえ、まったく勉強をしてこなかった高卒の知人などと会話している際、歯がゆさを覚えた経験が多々あります。すごく嫌な奴っぽい発言ですが、正直こう感じている方は大勢いるはず。もちろん、僕に対してそう感じた方もいるはずですし。上には上が、下には下がいる、ということですね。

ともあれ、こういった些細な部分に、間接的に勉強経験の有無が関わっているのです。もちろん一概には言えませんが、仮にアンケートなどで調査したら、この結論に収束すると思いますよ。

20代以降の学習力は過去の勉強体験に左右さ

正直、教科書の内容が社会で直接役に立つ機会なんて、実際にはあまり遭遇しません。むしろ「勉強はできるけど、仕事ができない」という人が社会にはたくさんおり、その逆も然りなのです。

しかしながら、仕事はある程度決まった形があるので、場数を踏んで順序や動きを体で覚えてしまえば、その内こなせるようになるもの。反対に学習というのは、過去に習慣づけて訓練しておかないと、いざというとき発揮できません。大人になると、新しいことを覚えにくくなるのです。

② 勉強すると忍耐力も培われる

勉強は精神的な部分にも大きな影響を及ぼします。この手の話は、大学受験がいい例ですね。受験の勉強時間といえば、人によっては一般的なサラリーマンの勤務時間をゆうに超え、 1日10時間以上というのも珍しくはありません。

僕も受験期はそれなりに勉強に時間を捧げましたが、第一志望へは届きませんでした。しかし、かつてフリーランスとして活躍できたのは、受験勉強で培った忍耐力があったからこそ、と感じています。もし受験と真剣に向き合っていなかったら、ここまで努力できる人間ではなかったと思いますから。

黙々と作業できる思考回路

反対に、大学時代の友人で高校、大学、就職と推薦で済ませている者がいるのですが、彼は会うたびに「勉強する癖をつけてくればよかった…」と言っています。橋梁や道路の建設コンサル会社で勤務しているのですが、資格の勉強が一向に進まないないそうです。

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③ 勉強は常識を形成する

常識とは、一般社会における共通認識を指しますが、冒頭で触れたとおり範囲が広く境界線があいまいだったりします。職業地域など、属する社会によっても常識は異なるくらいです。まさに、「18歳までに学んだ偏見のコレクション」と言うように、 “成人に至るまでをどこで過ごしたか?” でこの認識はだいぶ変わってきます。

ひとつ例を挙げましょう。しょうじ(@soumu_to_writer)は大学時代を北海道で過ごしましたが、むこうでは節分で「落花生」を投げる風習があったそう。地元である千葉県を含め、本州では「大豆」を投げるのが一般的ですから、落花生というのは全国的に見ればマイノリティな習慣。しかしながら、北海道という地域社会において、これは誰もが知る常識として認知されています。

こう考えると、常識という言葉はけっこう難しいのです。ではでは、まちがいなく常識と判断できる知識は、どこで身につくものなのでしょう。誘導尋問のようですが、答えは勉強なのです。

義務教育で学ぶことは一般常識といえる

教育の場として、まず思いつくのが小中学校の義務教育。日本では、この期間を7~15歳と設定していますね。 学校と言っても地域や運営形態によって教育の内容は異なりますが、国民全員が義務として受ける教育ですから、ここで得た知識や習慣は一般常識として認識して間違いありません。

むしろ、小中学校は一般常識を学ぶために行く場所と言っても差し支えないと、僕は思います。複数の人間が何の秩序もなしに生活するなど、この上ないほど非効率的。秩序を生むには、皆がもつ共通認識 -- すなわち一般常識を学べる場を設ける必要があります。

このように逆説的に考えると、いかに義務教育が大切かよくわかりますよね。なにも「中学校レベルの勉強を90%習得しろ」とは言いませんが、極端な話、漢字の「一」「十」さえも知らない人とは、コミュニケーションなんてとれません。

◆ 勉強は万人に必要ではないが…

勉強は必ずしも万人に必要なものではありません。農業や漁業では学力の重要性が低いため、その道に進むと決めているのならば、勉強に精を出す必要はないと、個人的には思います。荒っぽい言い方ですが、世の中には学力が低くても立派な人はたくさんいますから。

ただし、若いうちから勉強から遠ざかるということは、“将来の選択肢をどんどん減らしている” ということだけは肝に銘じておきましょう。 整体師なら骨格構造、薬剤師ならば有機化学、機械系エンジニアなら振動工学は学んでいてあたりまえ。当然ではありますが、プロの現場では専門知識は「常識」なのです。そして、これら専門知識のほとんどは、一定以上の学力を習得していることが前提なのです。

人は、生きていくために職業を選択し、それぞれの業界で求められる知識独自のルールを覚えなくてはなりません。 多様な生き方が選べる現代社会ですが、選ぶ権利を持つことができるのは勉強してきた者だけなのです。

あとがき

勉強というテーマで語らせてもらいましたが、実は僕自身、高校3年生に上がるまでは一切勉強をしてきませんでした。高校の3年間のうち、70%は部活遊びに時間を割いていたと思います。

だからこそ、と言いますか、高校1~2年生生の頃から習慣的に勉強しておけばよかったな、と常々感じているわけです。やはり、何事もコツコツと積み重ねられる人間が事を成せると思うのです。